先週の選挙の日は生憎の天気でしたが、こんな日こそチャンスと考え愛知県美術館に行ってきました。
(投票は期日前で済ませていたので)
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢
愛知県美術館で3月23日(月)まで開催中の、
”ゴッホ_展家族がつないだ画家の夢”に行ってきました。
狙い通り入り口は空いていました。

ゴッホといえば弟のテオのことまでは知っていましたが、世に出したのは家族、それも弟のテオではなくテオの妻(義理の妹)のヨー、そしてその子供ということを今回の企画で初めて知ることができました。
ゴッホが亡くなって15年後に大規模な回顧展が開かれたのですが、彼が37歳で自ら生涯を終わらせなければと52歳の時になります。
ゴッホが生まれた頃のオランダ人男性の、0歳の平均余命は約36.1歳
37歳+15年後で52歳なので、21世紀を生きる私たちからすると自ら命を絶たなければ評価されることを経験できた可能性があったように思い、当時のオランダ人の寿命を調べると1840年〜51年に0歳だった男性の平均余命は36.1歳。ゴッホは1853年生まれですからこの統計からは少し外れるのですが、1857年生まれの弟テオが33歳で亡くなっています。
(参考資料:オランダの人口問題)
ただ”0歳の平均余命”というのがポイントで、同じ資料の同じ1840年〜51年の10歳の余命は44歳なので54歳、40歳の余命は24.1歳なので64歳。これは当時は今よりも小さいうちに亡くなる人が多かったことが、0歳の平均余命を下げていると推測できます。その上で10歳まで生きることが出来た人の平均が54歳ということを考えると、当時の37歳は今であれば60代後半から70代位の感覚になるのでしょうか。
そうすると、37歳は若くしてではなく、認められることなく自分の人生は終わりに近づいていると考えたとしても無理はなかったのかもしれませんね。
参考までに厚生労働省の平成22年の統計を見ると、男性で0歳の平均余命が79.64歳、10歳で69.94歳と寿命の差がほとんどないことから、やはり当時は小さい時の死亡率が高かったことが0歳の余命と10歳の余命の差の要因だと考えられますね。(この間に大きな災害、疫病、戦争などがなければ)
15年後に存命だったとしても
今回の展示を見て、彼が15年後の52歳のタイミングで制作に取り組み続けていたとしたら、やっぱりリアルタイムの流行とは違う評価されないものを描いていて、いずれにしても評価されたのは死後であったことは変わりないように私は感じました。
生きているうちから支えた家族がいたから
ゴッホの夢が世間に認められることだったのかは私には分かりませんが、家族が制作活動を支え、そして世に出した事実は間違いなく、そのように考えると決して悲劇的なものではなく、むしろ悪くない生涯ではないかと思いました。
褒めるのは出来た時ではなく、取り組んでいる時
最後にトレーニングでの褒める、認めるの話です。
トレーニングは真剣に取り組む方ほど、出来ないところばかりに目が行きがちです。
でもトレーニングは出来ないことを出来るようにする過程なのでそこで悩む必要はありません。
ですから出来た時が褒めタイミングではなく、自分の弱いところからも目を逸らさずに取組み続けている時こそ、褒められるタイミングと私は考えています。
